日本の夜明けを照らした灯り、品川白煉瓦150年の物語

2025年10月に創業150周年を迎えた品川リフラ。10月1日からは社名を従来の「品川リフラクトリーズ」から「品川リフラ株式会社」と改め、『セラミックスで「最適」を実現する』をパーパスとして、耐火物にとどまらず断熱材や先端機材などの分野にわたっても変わらぬ挑戦と革新を続けていくことを掲げました。
節目の年にふさわしい記念事業の一環として、「150年、熱中。」のスローガンおよびロゴマークの制定を皮切りに、小学生向け書籍や学習ノートの作成や150周年記念WEBサイトの公開まで、様々な周年施策を行いました。さらに、現代までの歴史を品川リフラのコーポレートキャラクターであるリフラくん®とともに、ビジュアルで辿る周年映像を作成しました。
今回は、周年映像では語り切れなかった品川リフラの歴史を振り返っていきます。
ガス燈から始まった耐火れんが製造のあゆみ

日本が欧米列強に追いつくことを目指して突き進んでいた明治時代。文明開化の象徴ともいえる街角の「ガス燈」を灯すのに必要な、ガス発生炉用の耐火れんがを製造するために、西村勝三が始めた工場が品川リフラの始まりでした。芝浦にあったガス製造所の一部を借りて始めた事業は、1884年に深川(現在の江東区清住)の耐火れんが工場払下げを受けて移転・合併し、「伊勢勝白煉瓦製造所」と冠して操業を開始しました。ちなみに、「伊勢勝」とは西村の幼少期の通称で、白煉瓦は耐火れんが一般を表す呼び名です。

その後、1887年に品川の官営・品川硝子製造所の払下げを受け、再び深川から北品川へ移転した際に、名称を「品川白煉瓦製造所」と改め、1903年には「品川白煉瓦株式会社」を発足しました。それからおよそ100年ものあいだ、「品川白煉瓦」の名前は日本の近代的発展を代表する耐火物メーカーとして人々に親しまれることになるのです。
成功と苦難、その先に築いた道
西村勝三は、創業当時から耐火れんが製造に必要な技術の習得や設備の導入、良質な原料地の開拓などに全力で取り組みました。結果として、西欧式の技術設備を取り入れて製造を開始した耐火れんがは輸入品に劣らないほどの高品質であると認められ、創業後すぐの1876年に東京府瓦斯局から大口受注を獲得することに成功します。

しかし、1877年に勃発した西南戦争によって起きたインフレを是正するために、市場から紙幣の回収が行われると、企業や商人の資金不足が深刻化し、産業界の停滞が続きました。このため東京府瓦斯局の受注以降は大きな注文が入らず、1880年ごろには、1年のうちほぼ半分以上休業していました。資金繰りに奔走しながらもどうにか工場を維持している中で、1884年ごろに大蔵省印刷局から硫酸製造試験窯用異形れんがの注文が入り、これを完納したことでようやく経営の危機を脱しました。
建築用れんがの製造に乗り出す
1887年頃から1897年にわたって民間の耐火れんが製造会社が次々と設立され、耐火れんが製造工業の進歩が急速に進むと、製造工程の似ている建築れんがの製造も盛んになります。品川白煉瓦も西村勝三の死後、1908年からこの分野に進出し、1916年に装飾れんがの有力会社であった日本窯業株式会社を合併して製造工場を得るなど、昭和初期まで装飾れんが分野に注力しました。当時、西洋の建築様式を取り入れたれんが造りの重厚な建築物が流行したこともあり、大阪府庁舎や東京銀行協会ビルには品川白煉瓦製のテラコッタが使用されました。

-1024x696.jpg)
現代にも残る建造物としては、東京駅の駅舎が挙げられます。品川白煉瓦は、1914年の東京駅開業の際に建物外観を彩る化粧れんがの全量を納入し、その品質と優美さが高く評価されました。通称「東京駅の赤れんが」として知られるそのれんがは、今も駅舎外壁の1階、2階部分に現存しています。

世界へ、そして未来へ続く情熱の灯
芝浦から始まった小さな工場は、時代の変化に合わせて製造品目と販路を広げ、1907年に創業者・西村勝三が逝去したのちも、企業として歩みを続けてきました。1960年代に日本が高度経済成長期を迎え、自動車業界、造船業、家電商品、建築分野などのあらゆる場面で鉄鋼が必要とされるようになった場面では、いちはやく技術導入を行ったライテックスれんがをはじめ、不定形耐火物や連続鋳造用ロングノズル、モールドパウダーといった製品を次々と開発し、鉄鋼の大量生産に貢献しました。
モールドパウダーの詳しい歴史についてはこちら:耐火物とともに歩むモールドパウダーの歴史
多種多様な製品ラインナップを支える基盤として、1916年の日本窯業株式会社合併時に同社の備前支社を改めた伊部工場(現・岡山第一工場、岡山県備前市)など、今では岡山県を中心に福島県、茨城県、兵庫県を含めた全国6カ所に耐火物の工場を設けています。
現在の品川リフラは国内のみならず海外にも販売網を広げ、耐火物事業では1997年の中国進出を初めとして、オーストラリア、ブラジルなどにも生産拠点を展開しています。断熱材事業では、マレーシア、台湾、中国に、先端機材事業では米国に生産拠点を設置しました。今後も成長が見込まれる新興国の耐火物需要増加に対応し、2030年までに海外売上比率50%を目標としています。

「日本を世界に誇れる先進国へと押し上げる」
明治の先人たちが白煉瓦に託した夢は、幾多の人々による努力と挑戦を積み重ねて現代で花開きました。卓越した技術力と優れた品質で認められる品川リフラの耐火物は、鉄鋼業をはじめとした世界中の製造現場で活躍し、メイド・イン・ジャパンの工業製品が今日の世界のインフラを支えているのです。