SHINAGAWA REFRACTORIES
150YEARS
HISTORY

創業から150年。
色々なことがあったよ!
- 1875〜
- 1900〜
- 1915〜
- 1930〜
- 1945〜
- 1960〜
- 1975〜
- 1990〜
- 2005〜
- 2020〜
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1875創業者である西村勝三が東京・芝浦で民間初の耐火れんがを製造開始
日本の文明開化の象徴である「ガス燈」を灯すため、ガス発生炉用の耐火れんがを国産で作ろうとしたのが始まりだよ!
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1886西村勝三が51歳の時に、西欧諸国の先進技術を学ぶため視察旅行へ。半年かけてフランス、ドイツ、ベルギー、イギリスを周る
明治時代に海外へ!平均寿命を考えるとすごい行動力!それだけ技術獲得に本気だったんだね
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1887東京・品川に工場を移転し「品川白煉瓦製造所」と改称
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1890
-95耐火れんがの製造に必要な良質な原料を求めて、社を挙げて北から南まで日本全国を探した粘土原料地の確保はれんが作りに欠かせないもの。海老名技師が山野を自転車に乗って探し回ったんだって。彼は35歳の若さで亡くなってしまったけれど、その功績を讃えて西村はお墓を耐火れんがで作ったんだよ
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1894「シリカ耐火れんが」で特許を取得し、これを機に新たに鉄鋼用耐火れんがの製造も開始
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1903品川白煉瓦株式会社の誕生
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1904
-06経済活動の発展に伴う需要増加によって、大阪支工場をはじめ次々と製造所を増やし、耐火れんがは一層の発展期を迎えた -
1907創業者・西村勝三死去
「明治の工業の父」と呼ばれ、耐火れんがのほかにもガラス、製革、製靴、ガス、ビール瓶、メリヤスなど多くの事業を起こした西村の葬儀には、政界・財界・工業界の名士が参列して3,000人を超える人々が霊柩車を見送ったんだよ
西村の遺言により、渋沢栄一が相談役に就任株主でもあった渋沢栄一は、品川白煉瓦の起業から西村の死後まで深い関わりのあった人物なんだ
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1908清国、韓国への耐火れんが輸出を開始シリカ耐火れんがを改良した「珪石れんが」と、「装飾れんが石」で特許を取得
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1914東京駅開業にともない建物表面の化粧れんがを全納する
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1918第一次世界大戦後の新産業として電気・化学・セメント業界が需要先に加わる
ガス・電力・鉄道事業以外の需要先も増えてきたよ
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1923関東大震災で本社工場の設備をはじめ赤坂溜池の装飾れんが販賣所も被災し、出荷が絶たれるなど多大な被害を被った
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1943もともと海軍指定工場であったのが軍需省管理工場となり、翌年に軍需会社に指定された
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1945終戦を転機として平和産業としての展望を持つ
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1946社内軟式野球部の誕生を皮切りに、卓球、弓道、陸上、剣道、バレーボールなど様々な運動部が発足
品川リフラクトリーズは今も、部活動が盛ん!
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1947昭和天皇が全国巡幸の中で岡山に行幸され、品川白煉瓦岡山工場をご訪問される
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1951戦後、耐火れんが業界の生産回復のため、アメリカ・ゼネラルリフラクトリーズ社と技術提携。業界に先駆けてライテックスれんがの国産化に着手する
この出来事をきっかけに、日本では塩基性耐火物時代が到来!戦後の国内の鉄鋼増産に大きく貢献したよ。品川白煉瓦には先見の明があったんだね
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1953製品の標準化に努めた成果が認められ、岡山工場が日本工業規格(JIS)による指定工場となる
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1954国産の不定形耐火物が市場に出回るようになり、少量の不定形耐火物の製造を開始
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1955従業員が積極的に生産性向上のための創意工夫を行えるよう、岡山工場で工夫改善提案制度を実施
すぐれた提案には賞金を与えて表彰したんだって。たくさんのアイディアが成果に繋がったよ
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1956断熱耐火物の製造方法の実施権を得る。ドイツ製品に匹敵するほどの成果を挙げた
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1957全国に先駆けて、企業年金制度を開始。従業員の老後の生活の安定を図った
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1959社内技術者が積極的に新技術を開発できるよう、発明考案制度に関する規定を実施。特許・実用新案の申請を行うようになる
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1960日本鋼管株式会社と業務提携を行い、日生工場を取得。耐火れんがやモルタル類を日本鋼管に納めるようになる
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1961転炉用タールドロマイトれんがの製造を開始
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1962株式会社神戸製鋼所と共同出資で品川炉材株式会社を設立。明石工場で転炉用ドロマイトれんがの製造を始める
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1963鉄鋼業方面に新市場を開拓するため、アメリカ・ゼネラルリフラクトリーズ社と不定形耐火物の技術導入契約を結び国内で製造開始
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19691966年にルーマニアの鉄鋼コンビナート付属れんが工場用のタールドロマイトれんが製造設備一式を受注し、69年に納品。海外へのプラント輸出第1号となる
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1971国産のモールドパウダー製造を目指し、日本鋼管株式会社と共同で研究開発を開始。3年後の1974年に本格的に製品供給を始める
モールドパウダーは鋳型内に添加される粉末状潤滑剤で、高品質な鋼材を生産するためには必要不可欠な材料だよ。この当時、総合耐火物メーカーがモールドパウダーも製造販売するのは珍しいことだったんだって!
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1993長期経営計画の中核をなす「ドリームプロジェクト21」計画を発表。160億円を投資して各設備を近代化し、組織のスリム化と収益力強化、労働環境改善などにより「グッド・カンパニー」の実現を目指す
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1997中国・遼寧省瀋陽市に初の合弁会社・瀋陽品川光輝冶金材料有限公司を設立。CCパウダー生産工場を建設し、中国国内での生産供給を目指す
現在ではインド・太平洋圏の主要市場すべてに生産拠点を確保しているよ
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1998イギリス・モルガンクルーシブル社との合弁会社としてBHPリフラクトリーズ社を買収し、オーストラリアの新会社としてShinagawa Thermal Ceramics(STC)社を設立
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2004イソライト工業株式会社の株式を取得し子会社化。事業戦略上の融合を図ることで総合耐火物メーカーとしての基盤強化を目指す
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2006高品質なモールドパウダーの製造販売で名高いアメリカ・FMP社を100%子会社とし、南北米大陸全域へ向けたモールドパウダーの拡販、他製品の販促を目指す
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2009品川白煉瓦株式会社とJFE炉材株式会社が合併し、社名を品川リフラクトリーズ株式会社に変更。営業基盤の強化、経営の効率化、人材の有効活用によって一層の品質・技術力の強化を進め、世界トップクラスの総合耐火物メーカーとしての地位確立を目指す
JFE炉材株式会社は1938年に創業した児島窯業株式会社から始まる会社なんだ。1944年に川崎重工業株式会社の子会社(川崎炉材)になって、鉄鋼業向けを中心とする耐火物の製造販売に携わっていたよ。鉄鋼業向けに培ってきた高品質な耐火物の製造技術と、高炉や熱風炉の超短期改修や製鉄所内のあらゆる窯炉のメンテナンス等、高度な築炉技術を併せ持つJFE炉材株式会社との合併で、品川リフラクトリーズの耐火物事業はさらに強化されていったよ!
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2016監査等委員会設置会社へ移行することが決定され、コーポレートガバナンス体制のさらなる充実を図る
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2021モールドパウダーの開発成功から50周年の記念すべき年。鋳造安定性に優れて、高品質の鋼を得られる独自技術性のある製品を数多く市場に送り出した
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2022韓国、米国、ブラジルに現地会社を設立社内にサステナビリティ委員会および推進室を設置西日本工場岡山製造部に広さ270㎡の危険体感訓練所を開設。工場内の安全性向上に取り組む
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2023コーポレートキャラクター「リフラくん®」デビュー
リフラくんの名前の由来は、品川リフラクトリーズのリフラと、英語で「アライグマ」という意味のラクーンから来ているよ
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2024ブラジル子会社SRBによる「顧客目線からの商品リブランディング」活動が2024年iFデザイン賞を受賞。耐火物業界として初の受賞という快挙を果たす
iFデザイン賞は米国のIDEA賞やドイツのレッドドット・デザイン賞と並んで、世界3大デザイン賞と称されるとても名誉ある賞なんだ
インドネシアに、ハーディーグループのPT.Refratech MandalaPerkasa社と合弁で新会社 PT.Shinagawa Refratech Perkasa社を設立需要が高い地域に製造拠点を拡大中。新会社は、「不定形耐火物事業」を行なっているよ
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2025創業150周年を迎える
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2030女性管理職25%以上、外国籍社員数3倍以上(2020年比)を含むKPIを達成予定
サステナビリティへの取組みとして、7つのテーマと11のマテリアリティを設定しているよ